新卒で正社員から海外放浪ののち、地方中小企業の女性管理職として12年間フルタイムで働いてきた私が、何をきっかけに会社を辞める決意をしたのか。今回はこの部分について説明していきたいと思います。
そんな大したことじゃねぇだろって思う人もいるとは思います。私も、人生なんとでもなる、と思うほうの人間ではありました。
でも人間、いざとなるとなかなか抜けられないんですよねぇ・・・
女性管理職サラリーマンが会社を辞めることを決めた理由
正直、1年に3回は会社を辞めようと思いながら、気付くと12年が経っていたというところ。
きっと、働く多くの人がそうでしょう。
キーとなるのはこれ
■管理職
■時短OK、介護看護OK、早退遅刻有休なんでもOK
管理職…裁量が大きく、ある程度自分のやりたいようにお金や人材を使える
働き方…社風として、理由のある遅刻や早退、有給は自由といっていいほどしやすい、とりやすい
こんなにいい会社なのに、どうして辞めるの?というところですよね。
ラクで自由で、もちろん責任はある程度あるけれど、やることさえやっていれば淡々と給料が毎月振り込まれる。
いいですよね。
令和3年の女性の年収平均は320万。私は地方で中小企業ですが、管理職というのもあって現在450万前後。平均からいえばもちろん悪くありません。
その状況で今回この会社を辞めることを決めた理由は以下の通り。
■子供が小学校に上がるタイミング
■自分が40歳を超えた
■自分を縛っていたものが無意味なことに気付いた
■会社の環境が悪化してきた
■身近な人が亡くなった
子供が小学生に上がるタイミング
「小1の壁」とも言います。私は超仕事人間で、正直これまで考えてもみなかった。
もちろん、子供は大好きで、仕事が終わったら真っ先に子供を迎えに行きますし、休みの日はどっぷりと子供と遊びます。
かわいくてかわいくて仕方がない。
でも、今の世の中、共働きは当たり前。私は一生働き続けるぞ!と思っていたので、当たり前に「学童」に預けようと思っていました。
しかし、私自身が専業主婦の母に育てられたこともあり、働きたいという一方で、ふと、学校から帰ると必ず母がいておやつを準備してくれていたことを思い出すようになりました。
私は小学校・中学校とかなりひどくいじめられました。
どちらも、私のことを「大親友」だと言っていた子の、嫉妬からくるいじめだったのだけど、リーダー格だった彼女らは、反論できない友人たちを巻き込んで、私を無視したり暴言を吐いたり。石を投げられたこともありました。
辛く悲しく、「死にたい」と思ったことも何度もありました。でも、それを救ってくれたのは、ドアを開けると笑顔で迎えてくれる母や家族の存在でした。
私の娘は、明るくとってもかわいいADHDです。
心はとても優しいですが、空気を読むのが苦手だったり、自分の悲しいという感情を抑え込んでしまうところがあります。
この子が小学生になったとき、きっと苦しむこともあるでしょう。悲しくなることもあるでしょう。
学校以外の居場所もできるだけたくさん作ってあげるつもりでいますが、一番は、大好きなママが家に帰ればいてくれること。大切な気がします。
働く姿を見せることがプラスになるとも思います。過保護になるという意味でもありません。
私はこういう性格ということもありますが、旦那の収入だけでは厳しいということもありますし、仕事は何かしら、し続けるつもりです。
ただ、子供に「おかえり」と言ってあげたいのに、それこそ私はWEB関係の仕事で会社に居なくても仕事はできるのに、場所や時間を拘束されるという今の働き方に、違和感を感じ始めたのです。
40歳を超えた
年齢なんて関係ない!いつだってスタートできるしやり直せる!!と思っていた20~30代を経て、急激にパワーが落ちてきたと感じました。
20代なんてどうでしょう。残業がっつりしてそこから深酒して帰っても、翌朝にはしゃきっと出勤できました。
自分は無敵だ、まだまだ上に昇ってみせる!と思っていました。そのまま海外に行けるパワーもあった。
30代、海外経験を経て、さらに無敵だと思って生きていました。このときに東京の会社も面接し、内定の話までもらっていました。でも、結局親の側から離れることが考えられず、地元である今の会社に再就職。そのままタイミングで結婚、子供を授かりました。
30代前半は帰国後ということもあってか、アドレナリン大放出で、楽しくて震えるほど仕事を楽しんだ時期もありました。しかし、結婚して子供が産まれ、旦那は土日も釣り三昧。子供好きではありますが、自分のことが最優先の人間なので、当然娘は最強のママっ子。
フルタイムの仕事にべったりの一人娘のお世話、家事育児が降りかかります。
そんな私の現在の1日のスケジュール
6:30 起床・身支度
7:00 朝ごはん作り・娘を起こす
7:30 身支度続きをしながら娘にごはんを食べさせる・娘の身支度
8:00 保育園に送り・出勤
8:30~17:30 仕事
18:00 保育園に迎え・買い物・帰宅・風呂準備・夕食づくり・入浴
20:00 食事・片付けなど家事
22:30 娘と就寝
朝は当然ながら大忙し。帰宅後は家事と子供の遊びに付き合ったりと、あっという間です。
本や新聞を読む時間も、自分と向き合う時間もない。
ふと、この慌ただしい日常を変えることはできないかな?と考えたんです。
挑戦したいこと、やりたいこもたくさんある。
お金は稼がなくちゃいけない、でも、家でできる仕事であれば心の余裕ができるかも。
自分で会社を立ち上げたらどうだろう。
その時、すぐに動けない自分がいて、頭の回転が20代30代の頃よりずっと鈍っている自分がいて。
これは、あとまた10年後にはもっとパワーが落ちてるぞ。と気が付いたんです。
転職も、年齢を重ねるほど厳しくなってきます。
40歳を超えた。これがふたつめの、12年目の会社を「今」辞めようと思ったきっかけです。
自分を縛っていたものが無意味なことに気付いた
3つ目の理由は、「自分を縛っていたものが無意味なことに気付いた」です。
あまり大きくない会社だからでしょうが、するすると管理職まで上がりました。管理職は現在8人、うち女性は私を含めて2人。
私は組織に入ると上に立ちたいタイプで、役職は「認められている感じ」がして、裁量権もあり、好きでしたし、こだわっていました。
結婚後、子供はとても欲しかったけれど、当時営業の責任者で、出張もあり、子供のことは先延ばしにしていました。
その後、3年間の不妊治療を経験し、子供を授かりましたが、やはり職場を離れる不安は大きく、産まれたばかりの娘を抱いて、号泣したこともあります。
そんな気持ちを二度と味わいたくないという気持ちから、ひとりっ子に決めたという経緯もあります。
しかし、そんな私がこの1年で感じたこと。
一歩会社を出たら、誰も自分が役職を持っているとも思わないし、そんなこと気にもしていない。
いや今さら。みたいな(笑)
大きくない会社でも、正社員で働いているということや、管理職であるということが、自分のステイタスというか、誇りであった部分は確実にありました。
でも、例えばママ友やご近所の人に「私は管理職です」なんてもちろん言うこともないし、それがなんなんだと思うようになった。学歴もそうですよね。
ものすごくこだわって、自分の頭からするとかなり頑張って入った大学です。でも、「私は●●大学出身です」なんて言う機会ほぼないし、だから何なんだって話。
高卒の人だって起業してるし、手に職もって私より全然稼いでる人いるし、私って肩書あっても何もできないじゃん。みたいな。
仕事の中では名刺交換をした相手が、「あぁ管理職なんだな」と思うでしょう。社内では部下に敬語を使われるし、管理職としての責任や発言を求められます。
でも、それって本当に小さい世界で。
12年前、海外に移住したとき、日本に帰ってきたとき、正社員とか役職とか全然考えてなかったのに、こうして組織に入ってしまうとそれがとても大切なことのように思えてしまってた。
でも、ちょっと俯瞰で物事を見たとき、一生懸命守ろうとしてきた正社員とか管理職というものが、社会という大きな枠組みの中ではどうでもいいことのように思えてきたんです。
もちろんね、「転職」となるとある程度の評価には響いてしまいます。「大卒」「経歴」。なくてもいいと言えば嘘になる。
私がこの先、転職という選択をするとしたら、これまでの経歴はありがたく使わせてもらいます。むしろ、私みたいな人間は、ないと厳しい。
ものすごーく何かに長けているわけでも、手に職があるわけでも、飛びきり若いわけでもない。
会社から会社という場合は一定の評価があるが、社会においては「自分を縛っていたものが無意味なことに気付いた」です。
じゃあ別にこの会社辞めてもいいじゃん。です。辻褄合ってるかな?w
会社の環境が悪化してきた
これは今回の決断に関してはおまけのようなもの。
私の会社は、もともとはパワフルな女性社長がアイディアマンで、人脈も多く、過去10年で急激に売上を伸ばしてきた会社です。
私自身、入社前からこの女性社長を知っていて、この人の下ならと思い入社したところもありました。
私が入社した頃は、まさにFAX通販からWEB通販への移行期で、時代の後押しも相まって、会社の売上はぐんぐん伸び、社員も増え、活性化していきます。私も東京や大阪への出張も多くなり、とても充実していました。
しかし、「WEBなんて」「システムなんて」と、新しいものを受け入れようとしない年長者、私のような「モノ言う女性管理職」が大嫌いな男性管理職。「安定した給料がもらえるんで上に上がる気も辞める気もありません」という万年平社員の面々。仕事は二の次、口を開けば悪口のおばちゃま。
しんどい。
仕事は楽しい。やりがいもある。でも、環境がきつい。
それに輪をかけて、7年前に社長交代が起こります。誰もが尊敬していた女性社長から、息子の代に。
自ら考え、どんどん動き、社員の母親のような優しさをもった先代。
一方、社員には「動け!考えろ!売上上げろ!」と言いながら自分はYoutubeを見て過ごす愛のない現社長。
誰もついていきません。
コロナ禍を経て、世の中が大きくICT化、DX化に動いていきます。もともとが紙媒体を扱う製造業。コロナ禍の3年で、紙媒体が急激に落ち込みます。
それでも全体的な売上が大きく落ちるというところまでは行っていないのは、WEB通販と、3年前から販売していたシステム、社員のたくさんの取り組みと頑張りもあるでしょう。
しかしここにきて、数年前からの現社長の決断が業績に影響し始めます。細かいことは割愛しますが、私を含め社員の反対を押し切って行ったことが、キャッシュフローを逼迫し、お金がないうえに必要なところに人材が行きわたらずただただ忙しい。という状態に。
お金は使えないが新しいことをやれ。できるだけ何もかも節約だ。給料も上げられないしボーナスもないかもだけどとにかく売上を上げろ。
私の好き嫌いや、社長の人となりなんかはとやかく言いません。私自身、社長ではないし、きっと社長業なんてできないし、社長の苦しみもすごさもあるでしょう。読んでいる人には私のことも社長のことも、私目線でしか知ることができないので、不平等ですしね(笑)
これを会社を辞める理由の後半に置いたのは、会社の環境(業績)が悪いということは単にきっかけのひとつであるということ。
この12年の間には、上に対する恨みつらみで衝動的に辞めようとしたこともありましたが、結局仕事の楽しさややりがい、子育てとの両立の面で踏みとどまっていた。
今回は何より、何か自分自身の働き方や生き方を変えたいと思うタイミングにきていたということ、そして、パワーが落ちてきた40代に突入したということ、そこに背中を押すように環境が悪化した。
というところです。
身近な人が亡くなった
と言っておきながら、もしかしたらすべてのきっかけがこれと言っても過言ではないかもしれない最後の理由。
40歳前後で同じぐらいの年齢の人の死を数人経験したことです。
同じ年齢の子供を持つ、ママ友。後輩。後輩の弟。昔から知っている兄の友人たち。
みんな本当に若い。ガンで亡くなった人もいますし、突然死も。
それはそれは衝撃でした。みんな、80や90、もしくは100ぐらいまで生きることを当たり前に信じて、自分の人生設計をしていたでしょう。
子供の成長を当たり前に見られると思って目を閉じたのでしょう。
それが、突然絶たれてしまう。
私は常日頃から「明日はこないかもしれない」と思って生きるようにしています。
でも、なかなか自分本位に生きることは難しかった。
身近な人の死を次々と目の当たりにして、マジで1日1日を笑って過ごせなきゃ絶対後悔する、って思ったんです。
もし明日私が死ぬとしたら、今の自分に後悔はないか?私は後悔だらけです。
人生一度
本を書いてみたいなとか、英語を学びたいなとか、何か自分で起業してみたいなとか、個人的にやってみたいと思うことはたくさんあります。働きながら副業でとか、休みの日に、というのももちろんできるでしょう。
私も他の記事で書きますが、副業もしています。
ただ、頭の回転が鈍ったからなのか、本当に忙しすぎるからなのか、同時に3つも4つもやることが難しくなり、どれも中途半端な感じになっているのが嫌だなと思ったんです。
また、がっつり昭和世代の両親は「40代で転職なんて無理よ」「会社が厳しいときこそ管理職であるおまえが頑張るべきなんじゃないか」なんて言います。
でも、私の人生ですし。会社のために一生を捧げようなんて思えない。
人生一度です。生きていけるなら、犯罪以外何したっていいじゃない。
わざわざ「責任感」というもののために好きじゃない人と一緒にいる人生って何になるの?
自分がいいなぁ、好きだなぁと思う場所で生きること、自分が前向きになれて、わくわくする人たちに出会えることのほうが心が元気になるよね。
もちろんこれはキレイゴトです。
そんな、好きなことやって好きな人とだけ生きてなんて到底難しいでしょうよ。稼ぐために必死でみんな嫌いな仕事してるのに。
多くの人がそうです。
でもね。やってみないとわからない。動かなければ一生そのまま。
「会社辞めるの怖い」「転職先なんてないよ」と言っている人、私の周りにもいっぱいいます。私も同意見。
でも、自分の考え方とか縛っているものを取っ払ったら、辞めるのが怖くなくなったり、転職先が見つかることもあるかも。
ちょっとでも今より自分に笑顔が増えるなら、きっと家族もそのほうが嬉しいはず。
昨日はもう帰ってこない、今日は二度と味わえない、この一生は一度だけ。
そう思ったら、「よし、この会社辞めよう」「新しい世界に行ってみよう」と思えた。
そう、そんな大したことじゃない。