2024年、私は40代前半で会社を辞めた。新卒で3年→海外放浪→再度サラリーマンとなりその後12年働いた会社だ。
地方の中小企業で、海外帰りで営業職をやってみたいという思いから、以前から興味のあった地元の会社の営業として入社し、1年目で主任、2年目に係長、5年目に営業課の課長となり、最終的には通販部門のマーケティングを任されていた。
裁量権もあり、フレキシブルな会社だったので、アドレナリンが大放出するぐらい楽しい時期もあった。多くはないがそれなりの給料、遅刻や早退、急な休みもまったく問題なく、子育てにも最高の環境ではあった。
一方、会社なので当然、大嫌いな人も数名いたが、未来を語ったり、どうでもいいことで大笑いしたり、愚痴を言いながら飲める仲間たちもいた。
「会社、辞めたい」の波
誰しも経験のある「会社、辞めたい」の波。
私とて例外なく、1年に1度…いや、何十回も思っていた。
ただ、「楽しい面もある」「これ以上自由が許される環境はないのではないか」「裁量権もあるし」「辞めてまたイチから始めるのメンドクサイ」など、30代はそんな感覚でズルズルと過ごしてきた。
そうこうしているうちに結婚&出産し、子育てにはばっちりの環境で保育園卒園までしっかりとサラリーマンの恩恵を受けて過ごしてきた。
「会社、辞める」のきっかけ
「会社、辞める」のきっかけはいくつかある。
- いわゆる子供の「小1の壁」
- 会社の業績が悪くなり、何をするのも縮小傾向(楽しくない)
- 40歳を超えた
- 周りに若くして亡くなる人が数人いた
私にとっての「小1の壁」は、早く帰ってくる1年生の娘を「おかえり」と言って迎えてあげたい、ということだった。あっという間に乳幼児期を過ぎ、もうすぐ家族より友達のほうがいい年齢がくる。このギリギリの過渡期に、子どもと過ごす時間をもっと持ちたいというのが「小1の壁」だった。
また、会社は社長交代があってから、ぐんぐんと業績が悪化し、社内の空気も悪くなってきていた。新しいことをいくら考えても、お金がないからとストップがかかる。仕方のないこととわかってはいても、仕事が徐々に楽しくなくなってきていた。
こっそりと後輩と(同時期に辞めた)転職活動をスタートし、私も数社受けてみた。とはいえ、「小1の壁」により、転職するなら「完全リモートワーク」一択だったので、選択肢は狭い。40歳を超えていた私、自分の残りの人生の時間を考えると、「もっと自由に生きていきたい」「挑戦するなら今では」という気持ちが沸き上がった。
そのころ、身近に若くして亡くなる知人が数人おり、自分自身もいつ死ぬかわからないということに恐怖を感じた。お金が稼げるなら、会社じゃないほうがいい。私は自由がいい。
私は転職してまた会社という組織に入ったとて、きっとまた「辞めたい」と思うだろう。就業時間に縛られて、自分の人生の貴重な時間を会社に捧げてお金をもらっているということが、なんだか「もったいない」と思ってしまった。
「会社、辞めよう」
会社を辞めて個人事業主になる決断
そんなこんなで、転職活動は辞めた。
ちょっぴりの不安はあるにはあったが、「うまくいかなければどんな仕事でもある」と思うことにした。
それまで、「正社員」とか「役職」というものに安心感を感じて、プライドもあった。でもどうだろう。一歩外に出てみると、別に誰かに「私は正社員です」「私は課長です」なんて言う場面はない。
娘の母親で、なんか働いていそうな人、ぐらいのイメージで地域では生きている。
「正社員」「役職」…もし私が明日死ぬとしたら、そんなことどうでもいい。
朝は忙しくて窓を開ける時間もなかった。買い物とお迎えが終わったらわき目も振らず夕食の準備。季節の変わり目を感じる暇もなかった。
個人事業主。自分のやりたいようにやる。最高だ。
幸い、会社では他の社員がまったくノータッチの分野ばかりをやっていたので、「辞めます」というと「困ります」という状態だった。
とはいえ、特に私にものすごい技術や知識があるわけではなく、正直、会社というものは誰が辞めても絶対になんとでもなる。ただ、代わりを入れて時間をかけるより、私が個人事業主になるのなら「じゃあそのまま仕事を請け負ってよ」ということになったのである。
ここの仕事を毎月の固定給として1本確立し、個人事業主としての目途が立った。
個人事業主になって1年が経過|今の状況
最高です。
何が最高って、子どもに行ってらっしゃい、おかえりができる。両親と会う時間も増えた。
朝がゆったりとスタートできる。
自分が仕事も時間の割り振りも決められる。
収入としては、サラリーマン時代の1.5倍ぐらいにはなっただろうか。
社会保険料など、自己負担で「ギョ」っとするものもある。ただ、サラリーマン時代には全く意識していなかったことを知ることができて、いい勉強になったとも思っている。
1日の運動量と人と話すことは極端に減った。
サラリーマンがゼロになった我が家
そもそも実は、私の家族(兄二人)も会社を経営しており、サラリーマンではない。
羨ましさはあったが、私は突出した何かがあるわけではなく、サラリーマン気質だと思っていたし、上ふたりがサラリーマンではないからこそ、私だけはお堅く…みたいな気持ちもあった。
私は兄たちの影響でもなんでもなく、自分で決断した今回の個人事業主としてのスタートだが、実は今年、旦那も個人事業主になった(笑)。
これは明らかに私の影響である。
サラリーマンであり続ける選択肢もあったし、本人も迷っていたし、周りは9割が「サラリーマンを続けるべき」と言っていた。
でも、人生は一度。いつ終わるかわからない。
「個人事業主になっちゃえよ」これが私が旦那にかけた言葉である。
そんなこんなで我が家はサラリーマンがゼロになった。
旦那の仕事についてはまた今度。